2011年12月12日月曜日
日本の技
よくよく話を聞くと、その学校では折り紙で花等を作って飾り付けていたらしい。
私がたま~に同僚の子ども達に鳥とか風船とか、
折り紙で作ってあげていたので白羽の矢が立ったようだ。
養護学校勤務で身につけた技、
加えてNTCでさっちーに教えてもらった切り紙の出番です。
生徒達と一緒に、たくさんのくす玉と花を作りました。
「先生すごい。来年は美術か技術の先生になったほうがいいよ」とか「折り紙を教える学校に通ってたの?」とか言われると、
なんか嬉しいけどくすぐったい。
日本人なら誰でもできるとは言わないけど、
1度は鶴ぐらい折った経験はある。
折り紙に触ったことのない人のほうが珍しい。
教科書を読んで暗記するだけのここの学校と違い、実技や実習の多い日本の授業、
行事やクラブ活動など様々な体験ができる日本の学校。
そんななかで培われた私の技術は、日本の技なのかもしれないな。
イシュクワの季節
帰る前に1度は食べておこうと思ってチャレンジしてみました。
②炒りながら、塩を振る
③羽をむしる(完成)
味のほうは・・・意外と普通。
私は煮干みたいだなと思いました。
それ読んだら刺身なら食べれるよな~とか思っちゃって、
+皆があれだけ美味しいとか栄養満点とか言うイシュクワ、
モザンビークだけではなくマラウィ、ザンビア、ジンバブエと近隣諸国みんな食べているイシュクワ、
食べないわけにはいかないよな~なんて思ってチャレンジしたんだけど
特別美味しくもまずくもない。
同僚が「子どもの頃は大好きだったけど、今は食べない」って話してたっけ。
もっと美味しいもの知ったら食べなくなるのかな~
かぼちゃの葉と一緒に炒めるともっと美味しいらしい。
チャンスがあれば食べてみる・・・かな?
植えなくても菜の花とかかぼちゃとか、庭に勝手にはえてきたりするし。
お金なくても最低ラインの生活できる、アフリカって幸せなところだと思いませんか?
2011年12月2日金曜日
デビュー!!
エイズに関するお話や、小芝居等を各団体が行います。
他の人が来て、「やっぱりカメラマンお願い」ってことになるんじゃないかと思いながら、
朝仕事をぱっぱと終えシダージへ。
私が会場に着くと、「はい、この上着着て」と渡され太鼓の前へ。
ありえないことに、ほぼ時間通りに式典が進行されていて、
何の準備もしないまま会場に入り、太鼓を叩いてきました。
練習場では何度も叩いているけれど、外で、しかも人前で演奏するのは初めてなので、なんか変な感じ。
しかも「アズング(白人)が叩いている~」と珍しがられ注目の的。
だって、たまにしか練習に来ないメンバーはシェフが家に帰したんだよ。
うまく表現できないけど、私にとって忘れられない記念日
2011年10月29日土曜日
大統領夫人
仕方ないな~
さて当日、迎えのミニバスが遅れ、会場のミルパークに着いたら準
大統領夫人が到着すると、係りの生徒は緊張しながらも誇らしげに説明しています。シバタは花瓶やマット、地図など、各授業で生徒たちが作った作品を展示しました。
2011年9月4日日曜日
日本祭
知り合いのモザン人によると、ここは伝統を守った音楽(ダンス)をしているようです。
ここの音楽といえばティンビラ(木琴)。
大小様々な大きさのティンビラやバトゥーキ(太鼓)の伴奏に合わせ、やりと盾を持ってダンスしています。
私の任地ではティンビラは見られないし、ダンスでも盾等はあまり使われないので、面白かったです。
西洋音楽と違って、モザンビークでは歌のつかない音楽はあまりないのですが、ティンビラは器楽のみでも演奏されていました。
マラカスを持った人がダンス兼演奏をしていると思ったら、指揮者の役も兼ねていて、その人の合図で全員で演奏したりソロになったりしていました。
ちゃんと、そういう役の人がいるんだな、と感心。
さて、その音色は、同期隊員曰く「ファミコンの音」(笑)
ビニール等でビリビリというさわりがするせいでしょうね。インドネシアのガムランに近いものを感じました。
さて、このお祭りでイニャンバネ州の隊員を中心に日本文化紹介、日本へのメッセージ付キーホルダー作り、日本食の販売、ゴミ回収等の様々な活動をしてきました。
私は料理班。
コロッケ(元はフランス料理だよね??)、ラスク、かりんとう、大学芋とモザン人の大好きな揚げ物づくし。
油跳ねるのこわいし、汚れるしで、普段なかなかしない揚げ物を久々にしました。
といっても、私は主に下ごしらえ。しばらくパン見たくない、と思うほど延々パン切ってました。
浴衣姿がめずらしいからか、それとも野D隊長の掛け声につられてか、結構の人だかり。続 職員旅行
IFPヴィランクーロもシダージから30分近く離れたところにありました。
国道から奥まったところにあるので、シバタよりも交通の便悪そう。
掲示板に張られた1学期の成績を見て、皆びっくり!
だって1学期の段階で成績不良で卒業延期になっているのです。
シバタでは、とりあえず様子を見ようとかいって、1学期の成績を底上げしたのですから。
こうあるべきだ、とか何とか皆言ってましたが、来年は変わるのかな?
さて、日も暮れてから視察を終え、皆で市内へ戻り最後の夜を楽しんだのでした。
おまけ
翌日は市場へ行って山のように魚やイカなど海産物を買い込み、皆はシモイオへ帰って行きました。
私は皆と別れ、イニャンバネ州の隊員を訪ねる一人旅に出かけたのでした。
2011年8月6日土曜日
職員旅行 ヴィランクーロ
今更ですが(笑)
UPするの忘れていたので…
6月24~26日に2泊3日の職員旅行がありました。
一応、目的はヴィランクーロにある初等教員養成校の視察。
なので校長、教頭、事務長と総勢30人です。
1学期末の判定会議後、校長が「休暇に皆でどこか出かけよう。」と話してから、
あれよあれよという間にIFPヴィランクーロ行きが決定。
でも、出張旅費の用意ができたら行くってことで、
ホントに行くのか、いつ行くのか全然わかりません。
23日になって「明日の12時に出発するぞ」といわれ、ホントに行くんだ~と準備開始。
でも、人によって14時出発と言うので、何時に出発するのか読めません。
さて当日。
同じ職員住宅に住んでいる同僚が「集合時間だぞ。行こう。」と声をかけたので12時に事務室へ。
皆でおしゃべりしながら学校車を待っていましたが、いつまでたっても来ません。
しびれを切らした同僚が車を出して市内まで行くことに。
14時にシモイオ市内で学校車に乗り込み「いざ出発!」
と思ったらなぜかショップライト(大型スーパー)へ。
???と思っていたら、出張旅費を渡してから
ということで、一人ひとりに配り始めました。
皆に支給後、ようやく出発かと思いきや、今度は車内で食べるおやつの買い出し。
なんと16時過ぎにシモイオを出発したのでした。
ヴィランクーロまで約7時間。
お金を手に入れ、ビールやらおかしやら買い込んで超ハイテンションの同僚達。
歌ったり踊ったりと、車内はまるで遠足に出かける子ども達です。
お尻が痛くなって、皆が疲れ果てたころヴィランクーロに到着。
もう11時も回っていました。
ペンサオンの予約等もしてなかったので、それから宿探しです。
来たことのある人の記憶を頼りに、ヴィランクーロの街を行ったり来たりして何とか全員分の宿を確保したのでした。
2日目
午前中IFPヴィランクーロの視察へ行くというので、ペンサオンの近くを散歩したりして学校車の迎えを待っていました。
ところが時間になっても来ない。
やっと車に乗り込んだと思ったら、4か所に分散して泊まっていたので『ここのベッドは壊れそうだ』『あそこの宿の方が安い』とか言い出し、今晩の宿探しが始まりました。
全員の寝場所を確保した時にはもう12時。
「お腹すいた~」ってことで、今度はレストラン探しです。
通りを行ったり来たりしながら、看板の出ていた、海辺のレストランへ到着。
おしゃれな建物の前面に広がる白い砂浜、透き通った海。
シモイオには海がないので、皆ハイテンション!
写真を撮ったり、海に入ったりして遊んで、昼食のできるのをまっていました。
ところが、大人数の客に慣れていない、このお店。
注文間違えたり(これはモザンでは日常茶飯事)、
注文受けておきながら材料ないとか、問題続発。
料理の質と量も値段と釣り合わないといって皆大ブーイングです。
(シモイオが安いために、余計にそう感じるのかもしれませんが。)
その後、ようやく視察に向かったのでした。
では珍道中第1段はこの辺で
セミナー
ここモザンビークでも、もちろん様々な研修があります。
特に私の勤めるシバタは、寮に食堂、体育館に会議室と施設が充実していることもあって、しょっちゅう何かのセミナーをしています。
さてこのセミナー、日本とは色々なところで違います。
最も違うのが参加の仕方、というかセミナーへ対する考え方。
日本では基本的に学びたい人が行くもの。
研修にもよりますが、全額自費なこともよくあること。
ですが、ここではセミナーへ参加するのは招待客です。
といっても意味分からないですよね。
参考例として
今週も小学校の先生対象の研修が行われていましたが、
資料や文房具を支給
3度の食事におやつもあります
そして、最終日にはセミナー名が入ったTシャツも配られていました。
詳しいことはわかりませんが、出張旅費ももらうはずです。
すごいですよね。
というか、日本の常識ではありえない...
セミナーしていると、食堂ではチキンとか色々な食事を用意するので、
生徒達はおこぼれにありつけこうと喜んでお手伝い。
もちろん私も、おやつを食べに食堂へ(笑)
ということで、セミナーがあるとモザンビークでは肥るのです。
2011年6月6日月曜日
お葬式
自分の聞き間違えだよなと思ったけれども、残念ながら本当だった。
この2~3日見かけないなとは思っていたけど、まさか亡くなるなんて。
つい最近まで元気に働いていた人が、こんなに簡単に病気で亡くなるとは。
これが発展途上国なのか、と久々に痛感させられた。
他の同僚が
「モザン人は調子が悪くてもすぐ病院には行かず、最初はクーランデーロ(祈祷師)の所に行く。
病院に行くのはその後だから手遅れになるんだ。
そこが問題なんだ」と話してくれた。
金曜日の午後、授業がすべて休校になり同僚や生徒の代表と一緒にお葬式へ。
最初に行ったのが葬祭場。
その後、皆でお墓へ移動。
最後に家へ行って手を洗っておしまい。
お風呂に入るまで、飲んだり食べたりしてはいけないと言われた。
特にドレスコードはないようで、
全ての女性がカプラナをまとっている以外は普段の服と変わらない。
ずっと歌っているのが変な感じがした。。
葬祭場でも、お墓への移動中も、埋めている間も歌っている。
街を歩いているときに、トラックの荷台にたくさんの人が乗って歌っている集団に出会うことがある。
あれはお葬式だったんだな。
結婚式にも同じようにするけど、エンプレが言うには結婚式の歌とお葬式の歌は違うらしい。
わーわー泣いている人のそばで歌っている人がいて、
近親者は悲しそうに歌っているのだけど、
少し遠い関係の人なのか、歌い出すと身体が動き始め笑顔が出てきた。
悲しみにどっぷり浸ることはないと思うけれど、
同僚とか見ていても「トリスチ パ(悲しい)」とか言った直後に冗談言ったりして
軽いノリに見える。
日本以上に死が身近なのか。
それとも葬祭場でも笑ったりすることは特にタブーでもないのか。
同僚に聞くと「私が小さい頃には親に怒られたけど、今では伝統を守る人が減っているんだ」と言う。
困った
カマキリ、クモ、ヤモリ、アリ、コオロギ等日本でもなじみのあるものから、
アリとムカデの中間みたいなの
(おしりがくわがたみたいで挟まれると痛いんだ)
色鮮やかなガ
(モスラみたいでしょ)
ロボットみたいなの
(何もしないけど夜中にであるとぎょっとする)
見たこともないような虫まで。
イシュクワ(羽蟻)のように時期の限られているものもいれば、ほぼ同居しているクモやヤモリもいます。
さて、このひと月余り悩まされているのがミツバチ。
我が家の近くに巣があるのか、毎日のようにやってきます。
1匹が迷い込んではいってきたというレベルじゃなく、ひどい日には30匹近くが我が家の2階でブーブー飛び回っています。
出勤前に窓の周りにバイゴン(殺虫剤)をまき、家に帰ってくると床に10匹近く落ちている毎日です。
このバイゴン、まいたところにとまるだけで死んでしまうぐらい、すごい効き目。
人間にも悪いよなとは思うけれど、蜂の恐ろしさには、ね。
というのも先週、刺されてしまったのです。本を読もうとかばんを手に取ったところ、ものすごい衝撃>゜))彡
手を見ると蜂のとげ!
まさか飛び回っている昼間ではなく夜にやられるなんて。
電子辞書の『家庭の医学』見たり、医療隊員に電話したりして処置して事なきを得ましたが、あの痛みは2度と体験したくない。
というか一週間たった今でも腫れてるんですよね。
刺されてからしばらく手を使わないようにしていたのですが、痛みがひいたのでもういいだろうとピアノを弾き始めた途端、痒みと腫れが…
いつになったら完治するのか。
それより、いつになったら蜂が我が家から出て行ってくれるのか。
隣の家にも向かいの家にもミツバチはいないらしい。
何で我が家だけ…
シバタの日(フェスタ編)
水曜日にはなかったチキンやお肉、ジュースにビールがあると生徒達ははりきって準備しています。
朝、食堂の前を通りかかると
同僚が「かおり、なんで手伝わないんだ」というのでサラダづくりのお手伝い。
でも包丁の切れ味悪いし、まな板使わないから指切りそうで怖いんで、皆のスピードについていけません。
手伝ってるのか邪魔しているのか…
2時に始まると言っていたけど、予定通り遅れて(笑)、4時前にスタート。
いや思っていたより早いから上出来!
そう思えるようになったということは、また一歩モザンビカーナに近づいたかな。
食べて飲んで、
水曜日にはできなかった詩の朗読や寸劇が始まりました。
そしてファッションショー!
おかしいぐらいポージングがすごくて、大盛り上がりです。
特に司書のエバがファッションショーに飛び入りしたもんだから、皆テンションあがって大変です。
「私も私も」と他の職員もしだすし、生徒達は普段とは違う先生の姿が見れて嬉しいのか大喜び。
ダンスチームが踊り始めると、皆立ち上がって踊りだしました。
式典係というか余興係というか、仕切っていた生徒が「メンバー以外は座って」といっても誰も聞いてない。
収拾付かないんで大変そうだったけど、フェスタですから。
生徒も職員も踊らずにはいられません。
私も同僚や生徒にひっぱり出されけっこう踊ったので、翌日は筋肉痛(笑)
9時過ぎに校長が「終わり」と言って片付けが始まったんだけど、ダンスは止まず12時まで続いたのでした。
シバタの日(式典編)
あまりに暇だから歌やダンスをしろという。
昨日生徒達にあれだけカットしろと言って回ったのに・・・本当に大人は勝手だ。
10時になってやっと開始。
地域の方々が来て、食堂近くにある大きな木の下に集まって集会です。
ずっと前、この木のことをシバタのシンボルみたいに子どもたちが言ってたな。
そういうことなのか…と今さら納得。
この集会を取り仕切っているのが、シバタの地名の由来である地域の偉人の子孫らしい。
現地語で話しているのでよくわからないけど、木に向かってお祈りしているように見えました。
手を丸めてぽんぽん叩いて、ぶつぶつとなえている。
そのあと、ワインを回し飲み。
なんか沖縄の御願所やおとーり思いだしちゃった。
その隣でなぜか女性が寝ている。
生徒に尋ねると、死んでよみがえるのを表しているらしい。
4人ぐらい横になっていたんだけど、
なんかぶつぶつ言った後、一人ずつ起きだした。
開校記念日によみがえりが何の関係があるのか、いまいちわからないけど、トラディショナルの儀式らしい。
日本でもこんな儀式するのかと生徒が尋ねるので、少し考えたけど開校記念日にはしないよな~。
あえていうなら、起工式にあたるのかな。
普段見ることのできないものに触れられて良かった。
その後、植樹をしになぜか校内ではなく学校の外に。
同僚になんで外に植えるのか尋ねると、校内にはいっぱいあるからだって。
全然使っていないスペースあるのに…
その後体育館へ集まって式典。
スピーチ、聞き取れないのもあるけど、
日本と違ってこれまでの歩み的なものはあまり話していない気がする。
生徒達の出し物は、マニカ州、英語科、ナンプラ州(トーホー)、ミックスダンスとどのグループもがんばっていて良かった。
いつも不思議に思うのだけど、入場と退場も歌いながらだ。
太鼓を使った伝統的なものも、キーボードやドラムを使った教会音楽的なのもそう。
だから、制限時間5分といっても入退場を含めると10分近くなる。
日本人的な感覚では、そこはカットして中身を充実させようよと思うのだけど、悲しいことに伝わらないんだな。
語学の問題もあるけど、入退場も歌ダンス付というのが彼らの常識だから。
全て終わって昼食。
本当ならここでフェスタ突入のはずが、平日にお酒はいると翌日の仕事に響くからということで、土曜日に延期。
あんなに待たされた招待客の皆さま、水も飲まずに帰って行った。かわいそう。
いや、前日から準備に駆り出されて振り回された揚句、いつものフェジョン(豆カレー)を食べる生徒達が一番かわいそう。いや、授業がないだけで彼らは満足なのかな???
シバタの日(準備編)
同僚のキューバ人が、
一般にモザン人は日本と中国の違いがわからないというか、アジア=中国と勘違いしている節があり、日本がどこにあるのかわからない人ばかり。
日本はどこにあるか、人口や気候についてさらっと触れただけですが、
さて、私は式典の出し物の歌・ダンス等の係でした。
おまけに、日本と違ってモザン人は目立ちたがりで人前に出たがり。
前日になってシェフに各グループ5分と言われ、
行事の時にいつも思うことなのだけれど、準備するのがホントに遅い。
2011年5月2日月曜日
震災
海外を援助するより、まずは日本国内の復興が先だという国内世論に押されてのことらしい。
遠く離れると、全てがうわさ話で、本当の被害の状況も世論もわからない。
ブログを控えろという指示で、とりあえず1ヶ月書き込みしなかったけど…
こんなことで世論への配慮になるのだろうか。
私のブログなんて、家族や友人ぐらいしか見ないのに。
日本が私達協力隊を派遣したり、様々な援助をしているからこそ、他国も日本を援助しているのだ。
それが国際協力だ、国際関係だと、なぜ強く言えないのか。
そんな悶々とした日々を送っているときに
同僚の美術教師ベティーノから、
共通の友人である彫刻家のジョアネの写真を日本へ送ってほしいと頼まれた。
「これまで、日本が色々な形でモザンビークを助けてくれてありがとう。
今日本が地震で大変だから、今度は私達が義捐金を送りたいけど、
貧乏でそんな余裕はないから、この気持ちを写真に取りました。」
素直に嬉しかった。
どこにその写真を送るんだよ、と突っ込みたいけど、
でも彼らなりに私達の国を心配していること、その気持ちをどうにか形に表現したいと思っていること。
私には思いもよらない方法だけど、そこもまた彼らしくて素敵だなと思う。
写真受け取ってからブログに書こうと思っていたら、2週間近くたってしまい、
しかもまだ彼の所に行けずにいる。
写真を受け取ったらここに載せるぞ!
2011年3月31日木曜日
banana
2011年3月24日木曜日
バトゥーキ
しんぱてぃこ
同僚の家で初めてテレビを見た時は、本当に言葉を失った。
JICA事務所からのSMSで地震のことは知っていたけれど、まさかこんなにひどいなんて…
自然の脅威、そして畏怖を感じたのは私だけではないと思う。
同僚や友人達は私を見ると「お前の家族は大丈夫か」と声をかけてくる。
何人かの同僚は、気になって仕方なかったらしく家まで訪ねてきた。
私の出身地は遠く離れているから大丈夫だと言うと「よかった、神に感謝します」とか「おまえの家族のことが気になって昨日は眠れなかったんだ」etc.
多少オーバーだとも思うけれど、他人の痛みを自分のこととして受け取れるモザン人、思いやりの心に満ちるモザン人は本当にいい人だなと思う。
地震も津波も縁のないこの地では、「なんであんな危ない所に人が住んでいるんだ」等の返答に困る質問をされることも度々ある。
街を歩いていて、これまで決して聞くことのなかった『地震』という単語をよく耳にするようになり、おしゃべり好き、うわさ好きなモザン人のネタの一つになっているとも思う。
でも、私を見てとんできた同僚達のあの表情、そして無事を伝えた後のハグは、本当に心配してくれたことを物語っている。
そんな人々に囲まれている私は、本当に幸せ者だなと思う。
2011年3月20日日曜日
新年度スタート!
昨年は色々な州の生徒がいましたが、
今年はナンプラ州の生徒が約30人いて、あとはマニカ州の生徒です。
モザン国内ほとんどの州で受験者が少なかったこと、採点に手間がかかったこと等の理由で、
例年のように生徒を移動させなかったみたい。
去年は国が学校を決めるという方式を聞いてびっくりしましたが、今年は入れ替えないことにびっくりです。
意味があってやっていたのなら毎年すべきじゃないか、
と思うのは日本人の発想みたいで…
同僚に「なんで今年はマニカ州の生徒だけなの?」と聞いても『知らない』の一言。
全然気にしていないんだよね。
びっくりといえば、入学式もなくて授業がいきなり始まったことも衝撃でした。
いつものように、ポル語の勉強がてら学校に顔を出したら『明日から授業始まるよ』だって。
掲示板のどこにも入学式や授業の日程は貼られていないのに…
本当に先が読めない、自閉症には生き難い所です。
でも、新しい生徒達は1クラス約23名と少なく授業はしやすいし、
ピアノやギター等を弾ける子も多く一緒にセッションしたりして楽しんでいます。
2011年2月26日土曜日
モザンの海
2011年2月17日木曜日
ざんびあ2
特にモザンビークは内戦が長く続いたため、他の国よりも数が少なく、ゴロンゴーザ自然公園でさえ象やライオン等の大型動物にはめったに出会えないのです。
ということで、ザンビアでは見られるかなと期待して出かけました。
結論から言うと、少々がっかり。
シマウマやきりんなどは見れたけど、思っていたより動物の数が少ないし、公園内があまりきれいじゃないし、何よりガイドが親切じゃない。ゴロンゴーザのガイドが詳しく説明してくれたし、自然に配慮してゆっくり運転していたから、つい比べちゃって…
モザンじゃないから色々見れる、と期待しすぎちゃったのがいけなかったかなぁ
ところが、天は見放していませんでした。
夕方から出かけたディナークルーズ。
みんなでぱちぱち写真を撮っていたら今度はカバ!
朝は遠すぎて丸太かなんかわからなかったけど、
近いし集団だから、水にもぐったりあくびしてたりと色々な場面見れてラッキー!!